社長のコラム 今月のヒント

平成27年05月号

茶髪・ガム・ネガティブ発言禁止…
工藤監督はやっぱり厳しかった

いよいよプロ野球ペナントレースも開幕。今年からソフトバンクホークスの新監督に就任した工藤公康監督。その工藤監督の評判がすこぶるいい。キャンプ、オープン戦を通じて順調な仕上がりをみせるチームを率いている工藤監督が打ち出した「意外な方針」とは、まずもって、技術向上でなく、意外にも規律を遵守することだった。茶髪・ガム・ネガティブ発言など、選手に対して様々な禁止事項を設けるという就任発表がありました。ヤフーニュースの記事からお届けしましょう。

選手に対し、ファンの視線を意識することを要求

工藤監督が大事にするのは、ファン目線だ。ファンに夢を与える存在になっているか。特に現役引退後は、高校野球を取材し、野球の原点を痛感した。選手に対して、プレー以前に一社会人としての振る舞いを求める。常にファンの視線を意識することを要求した。その具体例が、「茶髪・金髪・ガム・ツバネックレスは厳禁」というもの。

その理由を問われた指揮官の答えは明解だった。工藤監督は「ぼくがユニホームを脱いだ後の3年間で学んだ大事なことです。プロ野球選手である前に社会人ですから」といって説明を加える。「サラリーマンが営業にいったときに茶髪だと、先方さんの印象が違うじゃないですか。会社でガムをかみながらパソコンの画面に向かっているのもどうかと思います。つばを吐くのも、ユニホームからネックレスがでるのも、みっともないです。できればヒゲもそろえてほしい。

現役時代は、西武を皮切りに、ダイエー、巨人、横浜など、4球団を渡り歩いた。実働29年で通算224勝142敗3セーブ。現役引退する2011年まで、3チームでリーグ優勝&日本一を成し遂げて〝優勝請負人〟と称された。「取材される側」と「取材する側」の両面を知り尽くす。

一流プレーヤーにありがちだが、若手といわれた時期は、記者仲間の間では取材しづらい1人だったようだ。2012年から「日刊スポーツ」の評論家、テレビ朝日の『報道ステーション』でプロ野球担当キャスターとして出演。朝日放送制作の『甲子園への道』『熱闘甲子園』で司会を務めるなど、3年間の充電生活を送ってきた。高校球児を取材して、自身がもっとも伝えたいことを、テレビで放映されるように、数分間の「尺」のなかでまとめ、視聴者に端的に語るのは修羅場だったという。だが、この苦労で「取材される側」と「取材する側」の両面を知り尽くした。社会で生き残る厳しさを体験したことは、前述した厳禁事項が示すように、現場トップに就いてからの決断に大きく影響している

ネガティブ発言は禁止

プロである以上は「できません」「しょうがない」などの消極的、否定的な発言は禁ずる。そしてコーチ陣にもしっかり自分の要望を伝える。1軍~3軍コーチに要望したのは、「継続力」だ。練習開始のウオームアップから、トレーナーやトレーニングコーチだけでなく、各コーチが選手を見ることをお願いした。コンディション作りや故障に関する知識が豊富な工藤監督は、「けがをすれば戦力が落ちる。コーチがしっかりと選手を見続ければ、変化が分かり、けがも防げる」と説明。

「工藤イズム」で連続日本一を目指す

日本一連覇は現状維持で達成できるほど甘くない。「工藤イズム」を注入し、チームをさらなる高みに導く。「連覇を狙えるのはホークスだけ。(昨年と)同じではいけない。底上げが大事になる」と指揮官は語気を強めた。

ホークスの昨季のチーム打率2割8分は12球団トップだ。投手陣も、レベルが高い。そこに今シーズンはもう1つの〝目玉〟が加わった。メジャー帰りの松坂大輔だ。松坂に関して、工藤監督はこう言い切る。「チームワークがあってこそ連覇を狙える。メジャー帰りの松坂投手も特別扱いしない」。西武ライオンズ時代は、新人王、最多勝3回、最多奪三振4回、最優秀防御率2回、沢村賞獲得など、日本球界を代表する堂々たるエースであり、ボストン・レッドソックスで一時は活躍したものの、2011年には右肘手術のアクシデントに見舞われ、オフにフリーエージェントになってソフトバンク入りした。その彼に対し「2人きりで話をしたことは1度もない」と言い切る。

「もがけばいいんです。もがいて、もがいて。周囲があれこれ言われるけど、本人が一番わかっていますから。もちろん聞かれれば話すが、あれほどのピッチャーなんだから、任せるしかない。今年活躍するかもしれないし、来年かも。その答えをだすのは自分だから、自分ではい上がってくるしかないんです」。そして、工藤監督は「最後はわたしが責任をとりますから」と言い切った。その短い言葉に、同じ〝エース〟として君臨した男の、松坂への期待がにじむ。